宿題ライブストリーミング

Zach Lieberman 1 の MIT で開講されている Recreating The Past というプログラミングを使ってアートを教える授業の宿題を酒井がやっている姿をストリーミング(実況) しようと思う。

以下の二種類の人が楽しめるコンテンツになると思う。

A. プログラミングに興味がある中学・高校生やデザイナー

B. アートに興味がある技術側の人

興味ある人は今後の発表に期待されたい。

以下は、これをするに至った経緯である。

コロナによって全てがリモートになって久しいが、その間に大学の授業とその用意をする先生方の苦闘がいろんな所から聞こえてきた。学費の対価としてサービスを提供する側の最低限のプレッシャーはもとより、教育そのものの大事さをわかっていて、「勉強ができる」という恵まれた環境の力を先生誰しも信じ分かち合いたいからだろう。

今は独学でも学習塾・予備校でも、大学の授業でも、オンライン教材 2 でも、いろんな形で学習プラットフォームが用意されているので、コロナで顕著になったとはいえ、大学のあり方は議論されてきたと思う。ただし、そうした教育の本質みたいな抽象度の高い話よりも具体的な取り組みを持って考えてみたいと思った。3

個人的に先生にも生徒に分け隔てないと思うし、自分の母校の教えとかめっちゃくちゃ慶應教みたいでいやなんだが、素直に福沢諭吉の「半学半教」はいいなと思うので、だったら、外出自粛中における究極の受講とはどうゆうものかを考える。

早い話「集合的に自習をするとはどうゆうことか」である。予め答えがわかっている指導側ではなく、(なるべく)未知なものを取り組んでいる姿を公開し、一緒に探索しているという感覚を集合的に感じるということはどうゆうことなのかを考えてみたい。僕は昔建築の教育を受けたので、設計課題(スタジオ課題)という独特の授業スタイルがある。それは毎週建築模型と図面を書いて、持ってきて先生から講評いただくような形式だ。世界中のどの建築学部のカリュキュラムでも徹夜が続く外からみたら大変きつい授業で、それが前提の業界に対していろいろ議論はあるでしょうが、学生として主体的に設計案を探索していると思うとそれはそれで冒険というか楽しい。これを公開して、もし、仮に一人でも、この探検的な要素によって学習の楽しさを感じることが、(いい就職先につけるモラトリアムとしてではなく)大学・教員・学生共々共通の願いなのではないだろうか。4

この構図、未知なものを体験していき一緒に発見していくという感覚は完全にゲーム実況であり、人生であると思う。誰かが考えた筋書き・ルールに対してそれを能動的にかつオープンに解いていく・クリアしていく過程を共有するメディアは確かに認められ始めているし、動いているお金も馬鹿にならない。そうして、その筋書きやルールを書き換えていく側に回るのである。

そこで、別に僕が考え出したものでもないが、MIT の授業の宿題を実況したらどうなるだろう。一つに、MIT に本当にいろいろ恵まれてこうして勉強できているわけで、その感じを少しでも 誰でも 体験できるよう還元したいと日々思う。本来高い競争率と学費でしか入れない大学という「エリート主義」や「権威」への対抗に見えるかもしれないが、勘案事項もある。

こんな時代だから結果的にそれは大学の権威性を強化し、教育格差を助長するかもしれない。

あるいはこうやって、僕が宿題をストリーミングしてしまったら、他大学の指導機会を食い潰してしまいかねない。授業のクオリティを(例えば視聴数というような)一つの指標で比べられるとは思わない。

そう考え始めただけで、いろいろセンシティブなところもクリアしないといけない。その中にもちろん先生の許可も含まれる。せっかく命を削って準備した教材を(オープンだからと行って)全て公開して、生徒が教えを解いているように見えたら、先生もなんのためにやっているのかわからないし、行ってしまえば僕が指導者としてフリーライドをしている。そのために Zach にこれについてどう思うか、相談した上で快諾をもらった。僕が提案した内容は下記である。

  1. 例え一般公開しているものであっても、先生が用意した教材・資料に関しては許可をとって公開する。 

  2. 誰が作ったか教材に対するクレジットを明記する。

  3. 授業 zoom は公開しない。(他学生のプライバシーもあるし)

  4. ストリーミングをしていることを授業中に公表しない。

  5. 宿題の結果を公開していいかどうかを確認する。

当たり前の事だが、授業という先生の著作物(作品と行ってもいい)に対して、許可をえた上で、正確なクレジットをし、批評的に引用することである。(何がいいのか、悪いのかを語る)あとは先生含め他の受講者に対して、受講体験を損じえないようにする。特に 3,4,5 はそこに対する気配りだ。

この取り組みに、反対する先生もいると思うし、上記の懸念がある以上尊重すべきだと思う。それだけ指導は彼・彼女にとって大事である。無理にひっぺがしてやるべきではないし、最終的には指導者に対してキックバックできるように生徒もすべきである。

以上の考慮の上、暫定的に Extreme Attendance と名付けてやってみたいと思う。

ではなぜ、この Recreating the Past なのか。Zach が許諾してくれたのはもちろん大きい。それ以外の理由を説明するために簡単に授業の内容を紹介する。

タイトルを直訳すると「過去の再構築」これは、すでに 70 年以上の歴史があるコンピュータ・アートの過去作品をプログラミングにより模写(プログラミングし直す)をし、その背景にある制作意図を読み解くというものだ。使うツール(プログラミング言語)は問われていない。プログラミングはできる生徒としたことがない生徒が混ざっているようだが、そこの指導は、おのおのでやれという具合である。アートに詳しい学生とプログラミングができる学生の知の交換を狙っているが、アート作品に対する歴史背景や批評能力をプログラミングに導入しようとしている授業だ。裏を返すと、コンピュータ・アートも成熟し、こうした作品を位置付ける行為が大学の授業として行われるようになったということでもあろう。

ではなぜこの授業なのか。

個人的にこの授業の技術的な不安はない。扱う openframeworks を本気で仕事で使ったわけではないが、何回か使ったことがあるし、Processing やグラスホッパーといった他のこうしたアート・コーディング・フレームワークは(嫌いになる程)使ったことがある。技術的習得よりもこう言ったコンピューターアートに対する批評能力と歴史的位置付けのさせ方の訓練と、すでに作られた創作物を加味した創造に興味があるから履修をしたいと思った。なので僕が宿題を通して技術的なことは比較的にスムーズにできると思っている。この未知と既知のバランスがいいとまず思った。

次に、グラフィックが強い内容であることだ。ひたすら計算をするものではなかなか辛いものがあるし、それは長い「板書」の歴史が洗練させてきたと考える。この授業は視覚的要素も強いので、例えば、アートに関心がある人も見れるし、プログラミングの初学者もとっつきやすいと思う。実際、中学・高校生でも理解できる内容だと思うし、プログラミングの導入にもいいと思う。遅いライブコーディングという見方もできるだろう。

実況は録画しておけば、あとで見れるので、逃しても戻れるが、リアルタイムに一緒にいることによって、仮にバグが出ても助けてくれそうだ。アヒルちゃんよりも楽しいだろう。

同じような取り組みは冒頭にも述べた通り、建築のスタジオ課題もいいと思う。なかなか決まった時間でできないが、黙々と模型や図面が出来上がっていくのは関係がない分野でも楽しいはずだ。建築学生の方は試してみる価値があるかもしれない。他には Neil Gershenfeild の How to make almost anything だろう。ただし、事前に教員の許可をとっておこう。


  1. コーディングでアート作品を作るためのフレームワーク openframeworks の開発に携わったり、ライゾマの真鍋大度さんと顔のやつでコラボしたり、書いた線にあった地形を探してくれるアート作品を作ったり、ALS 病に苦しむグラフィティアーティストが目とプロジェクションマッピングで街にグラフィティを描けるようにする作品とかを作っていて、この界隈だと知らない人はいないでしょう。彼のインスタグラムも必見です。 ↩︎

  2. 実際僕だって Deep Learning 勉強したいなと思ったら MIT にいながら coursea の Andrew Ng 先生の授業をとるわけだし。SFC の先生数名とも授業の履修証明は SFC 内外含めて授業単位で certificate を出して(ブロックチェーンに書いて)、それを持って学位授与みたいなことを話したこともある。 ↩︎

  3. もちろん、第一線で教えてきた先生方は具体的な試行錯誤を持ってハイレベルな議論されればいいともいます。否定しているわけではなく、僕の経験不足ということを強調したい。 ↩︎

  4. 設計課題は逆にこの探索に対して楽しさを感じられないと、なかなかやっていけないと思います。先生たちもこれがないとつまんないでしょうし。 ↩︎