tidal club new moon marathon

外出自粛中の合間時間に楽しみながら関数型言語でも?と始めました TidalCycles ですが、その発表の機会がありました。New Moon Marathon と題して、24 時間ぶっ通しで各演目 20 分ずつ計 72 組のアーティストが変わりばんこでパフォーマンスをするというイベントに参加しました。

初めてだったのですが、sp4ghet さんと一緒にやらせてもらい、彼のシェーダー能力の影に隠れながらやっていました。あとで自分たちの動画をみたけど、ヴィジュアルかっこ良かったし、シェーダ叩いてるのも多分珍しいので、本当にやって良かった。ありがとうございます。自分の画面を見せなかったのは別に隠れたいわけでもなく、一番簡単に全く無理せず楽しく二人でできる方法だったってことで、次にまたやるとしたら少しづつ色々吟味していきたい。僕のコードをシェアして還元という意味では他の 71 人の演奏の方が意義あると思いますが詳しく教えてという要望があれば応えます。まだまだ初心者です。

自分の話は脇に置いておく。以下雑感 4 点。

  1. スクラッチ派とプリコーディッド派

    音楽の世界、特にテクノやエレクトロニックミュージックでは、良く話題上がりますが、音楽ことパフォーマンスの即興性についてです。今回の文脈で言うと 20 分間で 0 からプログラミングして演奏する人もいれば、予め書いておいたものに編集加筆を行って演奏(実行)する人もいます。前者の雄は開発者の yaxu(あとで出てくる)で、後者は僕がみた中ではやっぱり田所先生かな、凄かった

    厳密なルールはもちろんないし、みんな勝手にやれば良いと思いますが、アドホック即興派か綿密な計画派、どっちの方法が果たして真のライブコーディングかと論争が巻き起こっていそうな感じで、そうゆう侃侃諤諤と議論を呼ぶプラットフォームの柔軟さを評価したいと思います。

    でもこれ、創造的な仕事の流儀としては共通して議論されているのではないでしょうか。世の中大分、ソフトウェア産業の大成功によって、オープンにやりながら考えるベータ・ベース・プロセスが強くなってきたとはいえ、トラディショナルな全部綿密に予め計画して作られたものの強度も外せません。それらの手法の相対化ができる楽器って良いなと思う。

    ただ一つ、計画されたものも REPL と言うプログラムを都度都度部分部分で実行させる試行錯誤のプロセスが組み込まれていることは逃せないでしょう。過程を人に見せるか見せないかの違いだけといったらそれまでですが、紙と鉛筆だろうが、コンピューターだろうが、道具との対話的なプロセスを踏んでいるのは間違いないし、道具としてその許容力がいかほどかが最も重要な評価基準であるように思います。音楽はもともと試行錯誤の反復が早いメディアですが、それがプログラミングとベストマッチしたのでしょう。

  2. yaxu の存在

    また全然が違う議論ですが、オンライン・コミュニティについて。他にも沢山例はありますが、「親愛なる独裁者」が成功している例です。この場合、そもそもフレームワークの開発者である yaxu さん自体は超がつくほど物腰が柔らかく、権威的とは対局の人で、おそらく今回の 24H マラソンもほとんど自分が動いてやっていて、全然寝れてないから、自分の 20 分の演奏も疲れてるって感じでした。彼がどこかで、「オーガナイザーは究極的にはイベント併設の便所掃除しているもので、その何が良いのかわからないけど、それが続いているんだよね」と語っていた。こういったイベントがうまくいくように泥臭いけど、コミュニティのためなら自分を多少犠牲にすると言う集団意識と tidal cycles を開発するいわば創造神的なトップの性質が同居している人で、おかげで、おそらくコミュニティの人は須く感謝と尊敬しているし、権威を掲げないあるべきリベラルな感じをかっこいいと言う文化価値観で勝負されてると思っています。

    「コミュニティ醸成はいかようになすべきか」とか良く言われてますし、僕の本業の方ではシステマチックにいかにできないかと日夜頭を使ってる身としては悔しいけど yaxu を「横展開」はできなそう。少なくとも簡単には。

    yaxu と言う中央に信頼を集めて運営することで、効率が良いし、「帝国主義なんて全部悪」と見るような流石に陳腐なプロパガンダなんてゆうに吹っ飛んで、ブロックチェーン実装の手も止まるとはこうゆうことで、もちろん中央集権が良いなんて言わないけど、バランスが重要で。

    じゃあつまんない中・凡庸な意見よりも少しだけ背伸びして淡い仮説を立てると、「分散を心から信じているトップ」と言う自己言及的な性質が一つ重要な特徴なのではと思う。(草の根ではなく)分散と言う言葉を使ったのは、個人的な分類でいうこのカテゴリーに入る人のバックグラウンドがプログラマーであることがほとんどで、彼・彼女らは程度の差はあれど、分散技術に対して仕事柄意識していると思っているからです。

    報酬と社会的需要が高いので、そもそも立ち上がって何かをマニフェストするよりは、好きなの問題をエンジニアリングするチルな良い生活でプログラマとしてはそれで十分というかそれが求められているので、社会を動かしていこうぜと大旗降る必要もないのですが、上に立てば立てばで役に立つリーダーシップ像が僕からは見えます。

  3. 教育的期待

    子供用のプログラミング言語 scratch を開発している研究室に近いところで仕事をしているとどうしてもその良さを啓蒙したい気持ちができたりしますが、あれも完璧ではないし、今回ライブコーディングをやってみて、実は考え方によってはこっちの方が、あるいは状況によっては適当な教育ツールかなと感じました。

    REPL であるからこそ、試行錯誤のスピードは早いし、加えて音楽で表現ができるようなっている、純粋に誰それのセッション「かっこよかった」という動機から始められる。子供の仕事である遊びに実用的な数学を吸収するチャンスだし。

    僕なりの scratch への批評は、ロジックや意味に固執しすぎていて、弁証法的と言うか説明に対してあまりに愚直的な姿勢がどうかなと思っていて、そこにレゴにはない窮屈さがある気がする。Youtube でやっている好きな演者のコードをパクってみて、それで動けばいいじゃない、それでどうなっているか後から考えればいいし、(全ての仔細にいたる仕組みを理解している必要はない)もちろんスクラッチにそういったリミックス機能があるのはわかっているけど、申し訳ないけど、くどいんだよあれ。鉛筆同様、道具は大人と一緒でいいと思う。

    うちの子供(4 歳)に Haskell を教えるのはまだちょっと早いけど、別に最初の言語だっていいじゃない。Haskell か否かは正直ディテールで本質じゃないけどね。

  4. 全てがフラットな時代の中での部屋・机・リビングの地域性

    ライブコーディングはヒップホップがもってたりする地域性も出ていて、国と言う荒い解像度で「日本の奴らすげーぜ」って言われたりするのも、なんかいいけど、一人一人の個性というか、育った文化的背景が見えてくるパフォーマンスも多くて、例えば、その「日本の奴らがクレイジーですげーぜ」という発言だって、日本勢それぞれの個性の集合体が周りでみている人達の目には「成熟した先進国として文化的価値の醸成と蓄積」を感じているから「憧れて」くれるわけで、マスとしてやっぱり外交政策として十分に機能しているというか。

    表現を外交というつまんない次元に落とすのも申し訳ないし、むろんたかが数グループで十把一絡げにするつもりはない、いや、むしろこんなサンプル数で何かをカテゴライズしようとするのは間違ってるけど、二重の意味で、社会的に恵まれているということと多様性の包容力というかという意味で豊かだなと思いました。例えば、ここから日本の北区勢みたいなすげーニッチな地域性が出るといいかも知れないし、いちいちどんなキーボードを使っているかでコメントが出てくるのも面白かった。

と乱文で雑感を少し書いてみたけど、質という意味で、今の 40 代の人達がたまに漏らす、古き良きインターネット文化に近いものがあるかも知れなくて、未熟でコマーシャライズされてないだけかどうかはさておき、いこごちがいいコミュニティなので、僕も続けたいし、できればツールまわりや周りに還元できる形で貢献できることを探そうかなと思いました。

TidalCycles